植村 直己 (うえむら なおみ)

 

冒険家、登山家

日本人初のエベレスト登頂を初め、世界初の五大陸最高峰登頂、単独犬ゾリによる北極点、グリーンランド縦断など。

1984年冬のアラスカ・マッキンリー単独登頂後、行方不明。

 

植村さんと会ったのは、1978年の秋頃。ちょうど北極点、グリーンランド縦断の旅を終えて帰国された頃だった。

当時、私は大学一年生。かつて植村さんがいた山岳部に入っていたことから、ある日、現役部員全員が板橋区の自宅に招待されたのである。

その頃の植村さんは山の一線からは退いて、もっぱら極地への犬ゾリ走破を中心に活動していたので、正直に言うと「山こそが一番」と血マナコになっていた私には、実際に会ったところでそれほど大きな感激はなかった。ただ同期の連中の中には植村さんの本を読み、その姿に憧れて山を始めた者もたくさんいたので、彼らにとってはおそらく天にも昇るような気持ちだっただろう。

植村さんの印象は、例えば近所の八百屋さんにでもいるような小柄で気さくなおじさんといった感じだろうか。それでも近くで見るとガッチリした肉付きのいい身体と、頬に残った凍傷の跡が冒険家としての風格を思わせた。

極地での冒険から帰ってきたばかりなのに、自分の冒険談や山に登っていた頃の昔話はまったくせず、もっぱら我々後輩に気を使い、「上級生は怖くてイヤだろう?」などとニコニコしながら酒と御馳走を勧めてくれ、楽しいひとときを過ごさせてもらった。

奥さんもご主人の手前もあるだろうが、むさ苦しい野郎どもが大勢駆けつけ飲み散らかしているのに、終始笑顔で接してくれて、「ああ、結婚するならやはりこういう人がイイのだろうな。」と思わせるような人だった。

 

私はその後、部を途中でやめてしまったため、植村さんと会うことは二度と無かったが、あれ以来、すっかりファンになってしまった。

一時期、植村さんの極地冒険を支援するため「一口千円募金」なるものが全国的に展開された時などは、ちょっと違和感を感じたりもしたが、今思うとあれは植村さんの本意ではなかったように思うが、いかがなものか。その後再び極地から山へ戻り、最後はたった一人で思い出の山へと帰っていった。その姿が私はとても好きである。

 

小西 政継 (こにし まさつぐ)

 

クライマー

冬のアルプスやヒマラヤで数々のビッグクライムを実践し、「山学同志会」のリーダーとして一時代を築いた「鉄の男」。

その後、ヒマラヤのマナスルで行方不明。

 

小西さんと会ったのは、1980年6月20日。場所は成田空港の帰国ゲートである。

ヒマラヤ遠征を無事終え、私はインドから2ケ月振りに日本に帰ってきた。長かった空の旅からようやく解放され、後は最後に荷物のチェックを受けるだけ。

ハッシシなどのドラッグを持ち帰るヒッピーまがいの貧乏旅行者が頻繁に出入りするので、エアー・インディアからの帰国者は係員にとっては要チェックの対象となる。

その時の私は一応ヒゲは剃っていたものの、インドのバザーで買った安物のシャツに皮製のサンダル、そして薄汚れてボロボロのミレーのザックといった格好。普通の旅行者と較べたらかなり怪しい格好である。

「ああ、疲れているのにザックの中身、全部ひっくり返されるのはイヤだなぁ。」というのが本音だった。

ところが、若い係員はよほど忙しくて面倒だったのか、私のザックにかけた手を途中で止め、「あのー、中身大丈夫ですよね?」と聞いてくる。そこで私はここぞとばかりに精一杯の笑顔で「ハイ!大丈夫です。」と気持ちよく応え、幸運にもノーチェックで通過できたのである。

 

そのまま数歩、歩いたところで突然後ろで「何でよーっ?」と大きな声がした。

振り向くとそこに山学同志会の小西さんがいた!ちょうどカンチェンジュンガ遠征の帰りだったようだが、まさか同じ飛行機だったとは。

すぐ前にいた私が素通りだったのに小西さんは荷物を全てその場にバラまかれ、「彼はまったくノーチェックだったじゃない!」とちょっと憮然としたようだった。

山の世界では有名な小西さんもその若い係員には顔を知られていなかったようである。それともよほど人相が悪く見えたのだろうか?いやいや、私の印象では写真で見るより実物の方がよほどスマートでカッコ良く見えました。これ、ホント。

 


森田  勝 (もりた まさる)

 

クライマー

冬の一ノ倉「三スラ」初登はあまりにも有名。アイガー北壁やエベレスト、K2などへ遠征。

1980年、冬のアルプス・グランドジョラス北壁で遭難、墜死。

 

私が森田さんに会ったのは1970年代後半の一時期。森田氏はたしかその頃、東京・新大久保にある「ICI石井スポーツ」でアドバイザリー・スタッフをしていて、時折、店にもいたようである。

当時、すでに森田氏のネーム・バリューは山の世界では相当なもので、三スラはおろか一ノ倉沢もろくに知らなかった私も、「モリカツ」さんという名前だけは知っていた。実際、モリタ・モデルと呼ばれるいくつかのICIオリジナル用品があって、私が最初に買ったクライミング・ハーネスもモリタ・モデルだった。

ある日、私が小物を買いに石井スポーツを訪れ、何の気なしに地下の靴売場に行くと、目つきがギョロッとした、いかにもただ者ではないといった雰囲気の男がいた。

私はその日、特に靴を買う必要はなかったのだが、いくつかモデルを見ていると、その人が近づいてきて、ボソボソッと靴について説明してくれた。確証はないが、山の世界に詳しい友人にその時の相手の風貌などを伝えたら、「それはきっとモリカツさんだよ。」と教えてくれた。そんなわけで、どんな印象だったかそれ以上のことはよく思い出せないのだが、気の弱い私にはちょっと怖い感じのする人だった。(笑)

 

そういえば、三ツ峠のゲレンデに「大根おろし」と呼ばれる岩場があり、ただでさえ難しい所なのに、ここを下駄を履いて登った男がいるという話がその頃あった。

この話は人から人へと伝わり、当時、クライマーの間ではちょっとした「伝説」となっていたが、私の記憶では森田氏だったとかいう噂も聞いたことがある。真実のほどは定かではないので、もし知っている方がいたらぜひ教えていただきたい。

森田氏については、ノンフィクションもので「狼はかえらず―クライマー森田勝の生と死―」(佐瀬稔・著)という本があり、これは私のお気に入り。山の世界に興味があり、まだ読んでいない人はぜひ読んでみてほしい。

 

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